海の祭レポート
琴浦精霊船行事(新潟県佐渡市琴浦) 開催日:毎年8月13日、16日
黒島天領祭の目玉である巨大な曳山
「琴浦精霊船行事」は新潟県佐渡市の無形文化財で、琴浦地区で毎年行われている盆行事です。8月13日に海を渡って精霊をお迎えにいく舟を「あのひのごんせん」、8月16日に精霊をお送りする舟を「このひのごんせん」といいます。昭和16年の太平洋戦争以前より80年以上続いており、戦後はご先祖様の送迎としてだけでなく戦争犠牲者の慰霊のためにも行われています。
今回は、舟造りから「あのひのごんせん」が精霊をお迎えに行くまで見学させていただき、これまでこの行事を守ってきた方、これからを担っていく若者達に話を聞いてきました。
江戸時代、琴浦からほど近くに位置する小木港は北前船西廻り航路の寄港地、宿根木は北前船造船の中心地でした。日本海側から海産物・北国米を積んで瀬戸内や大阪まで回航し、西日本の各湊から塩・繰綿・陶磁器・日用品などを積んで帰ってきました。北前船は「物」だけでなく「文化」も運んでおり、九州地方の「ハイヤ節」が佐渡に伝わり、「佐渡おけさ」へと変化を遂げています。
小木民俗博物館に展示されている復元された北前船
北前船の寄港地・造船地として栄えていた佐渡の南西部ですが、現在は世界的にも知られる太鼓芸能集団「鼓童」や「たらい舟」、琴浦の青の洞窟と呼ばれる「琴浦洞窟」、宿根木の重要伝統的建造物群保存地区の「街並み」と、観光業を中心に大変賑わっている印象を受けました。観光客で賑わう青く美しい「琴浦洞窟」の傍らで精霊船行事は行われます。
時折笑い合いながら、それぞれの役割に集中する青年達
2019年8月13日。午前8時に琴浦洞窟へ向かうと、大きな海食洞の中で舟造りに勤しむ若者たちの姿が目に飛び込んできました。案内してくださったのは総代を務める藤田さん。琴浦の精霊船行事について色々と教えていただきました。
若者たちが協力して造っているこの精霊船、舟の造り方や形はずっと変わらないそうです。それに関する指南書があるわけでもなく、80年以上も昔から口伝承や身体で覚えて伝えられ、時を越えて今を生きる琴浦の人々が受け継いでいます。佐渡の青竹は大変良質で、この青竹を使って舟の骨組みを組み立てます。材料は全て持ち寄ったもの。青竹は自生しているものを自分達で切って組み立て、稲の藁(以前は麦藁を使用)を束ねたものを積み上げていきます。固定するための縄も、自分達で編んだものを使います。全て自分達の土地から生まれたものを使い、自分達の手で造り上げます。「ごんせん」はお役目を終えた時には、そのまま海に流すため、琴浦の海に還ることのできる自然のもので出来ていることも大変重要です。
琴浦の歴史と誇り、時を越えた人々の想いが詰まった精霊船。人口減少とともに舟の大きさは小さくなってきてしまいました。
笑顔があたたかい総代の藤田さん
藤田さんが幼少期の頃は精霊船も大きく、子供会も50人ほどいて子供達が主体となりこの行事を行っていました。時代とともに人が減り、子供会主体が青年会主体へ。現在は町内会の役員が取りまとめ、青年会3人と子供会6人と帰省者や有志のみんなに手伝ってもらっている状況です。それでもこの行事を続けている理由の1つが、「佐渡市の無形民俗文化財に指定された」ことです。文化財に指定された事により、この行事を守り続けていく責務を負った琴浦の人々。そのために誰かが何かをしてくれるわけではありません。自分達だけで資金を調達し、自分達だけで準備を整え行事を行い守っていかなくてはなりません。「地元の意地」と「ご先祖様と慰霊のためにやっていくんだ」と藤田さんは話してくださいました。義務感と使命感を示す言葉を話しながらも、それだけではない特別な想いを宿すように彼の瞳は光を持っていました。
藤田さんが物心ついた頃から存在し、毎年大勢の子供と一緒に参加していた行事。当たり前のように毎年続いていくことを疑わなかった頃とは違い、人が減り、継続すること自体が困難になってきました。「子供の頃は全然分からなかったけど、「あのひ」には子供達と一緒にご先祖様が海を泳いで還ってくるって事なんだよ。やっと意味が分かったよ。」どこか懐かしむように発した藤田さんのこの言葉。きっと、彼の中でこの行事は意味を持つようになり、「守りたい」という想いへと繋がったのではないかと思います。そしてその想いに呼応するかのように集まってくれる若者や仲間たちを慈しみ、喜びと感謝の気持ちで溢れているように見えました。
意地と責務だけじゃなく「意志」と「感謝」が藤田さんの瞳の中にある光だと感じました。
海を渡る時を待つ「あのひのごんせん」
火を纏ったごんせん
8月13日。午後1時、ダイビングセンター前の「ごんせん」を置いた場所まで向かうと、舟造りをしていたみんなと有志達が集い船出の準備をしていました。舟を動かすと隠れていたフナ虫達が一斉にぞぞぞーっと移動します。青年達が舟の準備をする先では、子供達がライフジャケットを身に着けごんせんを曳くボートへと乗り込みます。昔は櫓で漕いでごんせんを曳き、子供達がごんせんとともに泳ぎ精霊を迎えに行っていました。しかし時代の移り変わりとともに曳舟はモーターボートに、海を泳ぐのは青年のみとなり、子供達はボートの上から見守るようになりました。「行事にヨソの人が入ってくれてもいいと思う。舟が小さくなったり、やり方が少し変わるのはしょうがない。絶えさせない事が大事だと思う。」毎年お盆に帰省しこの行事に参加している30代の男性。少し照れながらも、こう話してくれました。
フナ虫達が全員岸壁へ避難した頃、「あのひのごんせん」に火が灯ります。いよいよ、お迎えの時です。今年は6人の青年達がごんせんとともに海を渡ります。80年以上も前の「あのひ」、多くの子供達が泳いだように。
青年と共に海を渡るごんせん
「あのひのごんせん」は青年達とともに、どんどんと沖の方へと消えていきました。残ったのは太陽の陽に照らされて、光を放ちながら気ままに揺れる海。涼やかな波の動きを眺めていると、10分ほど経った頃に子供達のボートが帰ってきました。陸に足が着くと同時にライフジャケットを脱ぎ捨て海にダイブする子、保護者会からアイスをもらってそそくさと走り去る子。年齢も考え方も違う子供達。「全然楽しみじゃない。地域の行事だから毎年出てる。」凛とした大きな瞳で教えてくれた女の子は、それでもこの特別な日に自分の役割を全うしていました。
子供達が解散し少し時間が経った頃、海の波間から青年達が泳いでくる姿が見えてきました。琴浦の陸へ帰ってきたのは青年会会長の高橋元輝さん。仲間達が順々に到着する姿を見守ります。「去年より海が汚かった。」1人の青年が残念そうに呟きます。「今年は1回も海が荒れなかったからなあ。だから綺麗じゃないんだよ。」また1人の青年が応えます。海が荒れる事によって海藻や滞留している自然のゴミを掃除してくれるそうです。子供の頃の琴浦の海の記憶も懐かしそうに話してくれました。舟と一緒に海に入る際も「熱い?」「いや、熱くない。」「去年熱かったよなあ。」と青年達は海水温について何気なく言葉を交わしていました。みんな海に関心があり、海の変化に気づきます。琴浦に住んで毎日海を見ているから分かること、帰省して久しぶりに海と接するから分かること。みんな、この琴浦の海が好きで大切に想っている事が伝わってきます。この行事を通じて、内からと外からの琴浦への想いが交わる大変貴重な機会のように思えました。
青年会会長の高橋元輝さん(左から2番目)と毎年お盆に帰省する中川賢一さん(右端)
生の世界と死の世界を、海と子供達がつなぐ「琴浦精霊船行事」。大切なお盆行事にお邪魔したにも関わらず、琴浦の人々は温かく迎え入れてくださいました。「琴浦の人はね、島の外に出ることを旅に行ってるって言うんだよ。」こう教えてくれた藤田さん。またみなさんに会いに、帰りたいと思います。
今回取材で訪れた時期はお盆だったので、琴浦は観光客で大変賑わっていました。「琴浦洞窟」はシーカヤックで訪れる青の洞窟として有名なようで、精霊船行事のすぐ横ではシーカヤックを楽しむ人々で溢れかえっていました。しかしながら、こんなにたくさんの人がいるのに、私の中で価値ある行事が無視されるかのように振る舞われる事には違和感を覚えました。ある地域を訪れてその地域ならではの観光を楽しむ事は、とても価値があり地域にとっても喜ばしい事です。でももし、その地域の人が大切にしているであろう何かが行われていたら、少しの時間だけでも見守ってもらえたら嬉しいなと思いました。日本には神仏や季節、自然に結びついた他の国にはない祭や行事があります。その素晴らしい価値に気づいて、その地域をもっと好きになるきっかけになるかもしれません。
琴浦のお盆の大切な行事にお邪魔させていただきました。8月の佐渡島は観光や帰省等で一年で最も多くの人々で賑わう時期です。そうして島が賑わうなか、琴浦精霊船行事はひっそりと静かに行われていました。取材を終えた今も強く印象残っているのは、”暖かな空間”と”遠くまで延びるまっすぐな意志”です。琴浦の精霊船は、まるで周辺とは区切られたよう。藁舟を作るあの場、若者たちの何気ない会話、港から見守る集落の年配の方々の姿等、行事のひと場面ひと場面がとても暖かく穏やかな空間で行われていました。
しかし、その一方で、レポートでもあったように集落の若者の減少という事実もあります。琴浦集落の皆さんはその現実を理解し受けとめていらっしゃいました。青年会の方の「絶やさずに毎年続けることが大事」そのために「担い手に外の人が入ることは仕方がない」という言葉。もちろん、琴浦の方々だけで続けていくことができれば良いけれど、それが難しい状況も近い将来くる。この止めようとしても止められない事実を受けとめ、その中でできることをやるしかないという気持ち、集落の将来までも見据えたまっすぐな意志を感じました。
毎年やるからこそ残されるものがあるということに気づかされました。それは、たとえマニュアル化したとしても表されないものだと思います。行事で交わされる何気ない会話、海・山・里、集落の様子、毎年同じ時期に行うからこそ共有したり変化に気づいたりできる。琴浦の精霊行事の暖かな空間、いつまでもあり続けてほしいと切に思います。
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